松原神社は近衛天皇久安年間の歓請との伝あるも創祀の時期は不明。後醍醐天皇の頃当所に真鶴が棲み、 故に鶴の森明神と称していたともいうが、一説には当社は山王原村松原にあったとも言われ、後奈良天皇天文年間、 山王原村海中より金佛の十一面観音が松原に出現、託宣により当社へ祀った ことから神号を松原大明神と称したともいう。 その後北條氏が小田原を治めるに至り、社領を寄進するなど代々当社を崇敬した。天文十四年三月、 小田原海岸に現れた大亀を土地の者が当社の池に持参したところ、北條氏康これを聞き、吉兆なりとて参詣、 鏡を取寄せて亀の甲に置き、亀鏡は即ち目出度きいわれありと一門悉く招いて万歳の祝盃を給い、大亀を海へ放ちて後、 同月二十二日社前にて四座の太夫により法楽能七番、次いで 泰平楽にて舞い納めしめたという。 又、元亀三年五月には社中酒掃の掟書を出し、岡本越前守を検使として厳密な御沙汰があり、 町方より百人の人出で境内の掃除に当たったという。 寛永九年より稲葉氏、貞亨三年より大久保氏の領地となるも尊崇の念は変わらず、社費は総て藩財を以てこれにあて、 代々小田原の宿十九町の総鎮守とした。明治二年松原神社と改称し、明治六年一月県社に列せられ今日に至る。 |